【わたし日誌】2024年シーズンを振り返るVol.18 ~濱名花子#6~

FCふじざくら山梨の6シーズン目である2024年シーズンを選手自らが振返り、言葉に起こして届ける「わたし日誌」。
文章:濱名花子(本人)より

〇今年はどんな1年だったか

怪我をした中で、この1年で感じれたことは「チームメイトに助けられたこと」でした。
もういいんじゃないかと思うほどに6番のユニホームを掲げ続けてくれたもかさん(菅)。私の自慢の同期4人(中村・脇田・米澤・大谷)は同じ時期に生まれたというだけで頑張る元気を与えてくれます。私が自信を失くすと応援歌を歌ってくれる大森みさき。前十字靱帯仲間として、的確且つ厳しいアドバイスをくれる菜桜美(山本)さんと広沢(広沢)。

怪我をして復帰するまでのリハビリは孤独を感じるというけど、一切孤独を感じなかったのはみんなのおかげです。
たくさんのチームメイトに助けてもらい、ピッチに戻りたいという元気をもらいましたし、この半年間のリハビリを頑張り続けることができました。

〇この1年間で選手として、人として成長したこと

しぶとい人間になったこと。
サッカーは私に彩りをくれるもので、人生の全てではない。だからサッカーがなくなってもきっとわたしは楽しく生きていける。そう考えていたからあまり執着してきませんでした。なので怪我した後ピッチに立ちたいと思うまでに時間がかかりました。
正直、今もあまり考えは変わっていません。
私の人生サッカーが全てではない。でも今の私はそれでもサッカーがしたくて選手としてピッチに立ちたいです。
手術してまでも、オフ期間を返上してまでも、地味で痛くて長いリハビリをしてでも、今の私はサッカーをするために必死で、サッカーにしがみついています。
なぜならサッカーが意外と好きだったから!!!!それに、この大きな怪我を通して気づけました。
怪我してよかったなんて寝言でも言えないけど、よかったと思うことがあるとするならば、サッカーが好きだということに気づけてサッカーにしがみつける、これだけのリハビリを耐えてる、つまり、人として「しぶとい人間」になれたことが成長だったと感じてます。

〇応援のチカラが私たちに与えるモノ

7月に前十字靱帯の再建手術をしてからも膝の調子があまり良くならず11月に2度目の手術を受けていました。
その入院中はさすがに 「こんな想いするならもうピッチに立てなくてもいい」と何度も思いました。長い間、期待に応えられない罪悪感で初めて応援の言葉が辛いと思いました。ですが、「待ってるね」と声をかけてくれるサポーターの皆さんの顔、手紙を書いて私を励ましてくれたアカデミー、キッズサポーターの子供たちが頭に浮かんで私を踏ん張らせてくれました。
応援のチカラは私がダメだと思った時いつも踏ん張らせてくれます。改めて!!いつもありがとうございます!!!

〇FCふじざくら山梨はどんな存在であるべきか

ピッチの中はもちろん、ピッチの外でも、地域の子供たちの憧れや目標であり続ける存在であること。
あのお姉さんたちみたいになりたい!と思ってサッカーを始めてくれる子が1人でもいてくれたら、それが私たちの存在意義であり、価値だと思います。
あとは、皆さんの人生に彩りを与えられる存在であること。私がサッカーからもらってるような+αの彩り。衣食住とは関係ないからこそ、生きていく上で必要不可欠ではないからこそ「得られる栄養」みたいなものを皆さんに与えられるような存在になれば光栄です!!